歴史について調べていたら「御成敗式目 やばい」とのワードが上がっていました。
「御成敗式目」と言えば、鎌倉幕府が制定した法律です。
現代の法律はかなり整っていますが、鎌倉時代の法律にたいする感覚はどのようなモノだったのでしょう。
この記事の内容
- 「御成敗式目」とは??
- 「御成敗式目」そのものがワリとやばい!!
- 「御成敗式目」の内容がやばい!?
- 北条泰時は何を考えて「御成敗式目」を制定したのか??
光威
目次
「御成敗式目」とは??
「御成敗式目」は鎌倉幕府の権力を握った武将・北条義時(ほうじょう よしとき)の長男、北条泰時(ほうじょう やすとき)が1232年8月に制定した法令です。
「御成敗式目」の特徴は、道理を重視し、女性や子供の権利についても記された実用的な法律であったとされています。
「御成敗式目」以前の律令(公家法)は中国からの流れをくんだものであったり、明治以降現代までの各種法律法令は欧米法の流れを基礎として制定された継受法であるのに対し、「御成敗式目」は日本社会の慣習や倫理観に則って独自に創設された固有法という点で日本法制史上特殊な律令であるといえます。
式目は全部で51カ条あったとされています。
「御成敗式目」そのものがワリとやばい!!
ここでは「御成敗式目」自体のやばさについて迫っていきます。
光威
「御成敗式目」はグダグダすぎてやばい!
まず「御成敗式目」がやばいと言われる理由の一つとして、必要に応じて「追加法」が出されていたことが挙げられます。
現代における法律に関する書籍と言えば「六法全書」が有名ですが、「六法全書」には法令が800以上記載されているそうです。
「御成敗式目」は現代でいうところの法律ですが、これが51カ条しかなかったという事です。
つまり「御成敗式目」では基本的な事柄しか定めておらず細かい実務や事例に関しては、後から次々と法律が追加されていったのです。
さらにこの「追加法」ですが、鎌倉時代を通して全てひとまとめにした史料が残っていないそうなのです。
ということは、「御成敗式目」を制定した鎌倉幕府でさえも、自分たちが追加した法律を全て把握できていなかった(末期になって慌ててまとめた)のではないかと言われています。
光威
「御成敗式目」は行政区分がテキトーすぎてやばい!
鎌倉時代にはなんと「行政区分」がアバウトで、決めた法律がどこからどこまで適用されるかが明確ではなかったようです。
「鎌倉」といっても境界がハッキリと決まっておらず、「なんとなく、この辺が鎌倉だろう」といった感じで雑だったようです。
光威
「御成敗式目」を守らない住民たち
法律は追加されるわ、行政区分はちゃんと決まってないわ、で 「御成敗式目」はグダグダすぎですよね。
当時の住民も「こんなの守る意味あるんかな…」と感じていたようで、守らない人が続出していたようです。
その証拠に、同じ法律が何度も出されていた形跡があります(笑)
1261年2月20日に出された追加法「関東新制条々」より
- 編笠をかぶって鎌倉を通行することは禁止するようにと、前に命じたところである。
- ところが、奉公人どもの怠慢により禁止が徹底していない。
- これよりのちは、厳重に禁止とする。 引用元:Japaan magazine
ほかにも、1251年には以下のような具合です。
- 無許可の商業施設は、日ごろから禁止してきたことろであるが、今日から以下の七カ所以外の場所では一切禁止とする。 引用元:Japaan magazine
このように禁止していることが破られている事実を、おおやけに認めているわけですね。
そして「今度は守ってね!!」と言っているわけです。
こんなやり方では、みんなコッソリ破っちゃいますよね(笑)
光威
「御成敗式目」の内容がやばい!?
つぎは「御成敗式目」の内容がいかにやばいか注目してみました。
51カ条の中にあるやばい内容を見ていきましょう!
光威
人の悪口をいったら島流し!
第12条に「悪口の罪」があります。
条文は以下のとおりです。
- 争いの元である悪口を禁止する。
- 重大な悪口は流罪とし、軽い場合でも牢に入れる。
- 裁判中に相手の悪口をいった者は、ただちにその者の負けとする。
- 裁判の理由が無いのに訴えた場合は、その者の領地を没収。領地がない場合は流罪とする。
人の悪口を言ったら島流し、もしくは領地没収。軽い刑罰でも牢屋行き。
光威
人に暴力をふるっても島流し!
ひとに暴力をはたらいても島流しのようです!
第13条「他人に暴力をふるうことの罪について」
以下条文
- 人に暴力をふるうことは、うらみを買うことである。その罪は重い。
- 御家人が相手に暴力をふるった場合は領地を没収する。
- 領地がない場合は流罪とする。
- 御家人以外の場合は牢に入れる。
これは身分によって刑罰が変わるパターンですね。
侍は領地没収、領地が無い侍は島流し、身分の低い者は牢屋行き。
鎌倉時代の武士たちは血気盛んで、事あるごとにすぐに喧嘩をしていたようです。
たとえば宿で、枕相論(誰がどこに寝るか)という問題で揉めて刃傷沙汰を起こす事例もあったそうな…
あるときは2人の武士が、言い争いから斬り合いに発展。お互いの従者を切ってしまう事態になってしまった。
この事件のあと2人とも無事、島流しになった。とされています。
光威
文書を偽造したら顔に焼印!
第15条「偽造文書の罪について」
- 偽の書類を作った者は、所領を没収する。
- 領地を持たない者は、流罪とする。
- 庶民の場合は、顔に焼き印を押す。
- 頼まれて偽造文書を作った者も同罪とする。
- 裁判中に嘘をついた者は神社や寺の修理を命じ、それができない者は追放とする。
侍の場合、文書偽造は領地の没収か島流し。庶民は顔に焼きごてを当てられます(怖…)
光威
人妻と不倫したら領地を半分没収!
中にはこんな条文もあります。
第34条「人妻と密会することの禁止」
- 人妻と密通をした御家人は、所領の半分を没収する。
- 所領がない場合は遠流にする。
- 相手方の人妻も同じく所領の半分を没収し、ない場合は遠流とする。
- 道路上で女性を拉致することを禁止する。
- それを行った場合、御家人の場合は100日間の停職とし、郎従以下の一般武士は頼朝公からの先例にしたがい片側の髪をそる。
- 僧侶の場合は、その時々の状況に応じて罰を決める。
人妻との密会は領地を半分没収、もしくは島流し…また島流しか(笑)
不倫のリスクも現代以上ですね!!
光威
北条泰時は何を思って御成敗式目を制定したのか
北条泰時が「御成敗式目」を制定した理由は、泰時が、都にいる弟の北条重時(幕府の政府機関:六波羅探題に所属)に宛てた手紙に詳しく書いてあるといいます。
以下が手紙の内容です
- わが国には既に「律令(刑罰と一般行政に関する規定)」があるが、律令は漢文で書かれており難解だ。
- 「ひらがな」しか読めない者が多いなか、それではいけない。
- 広く人々を納得させやすいよう、武家への配慮のためだけに式目を作った。
- 律令は立派だが武家や民間で、それを知っている者はほとんどいないだろう。
- 大多数の人が律令を知らないため、律令でもって善悪を判断する場合には、律令に詳しい官僚が罪の軽重についての法文を恣意的に引用してしまう。
- そのため、判決が一致せず、人々は迷惑している
- 式目を作ったことについては「何を根拠にして書かれたのか」と、きっと人は非難することだろう。
- 確かな根拠はないが、ただ道理から推測されることを書いた。
- このように前もって定めておかないと、裁判の時に筋が通っているかを二の次にして、当事者の強弱により判定が下されてしまうことだろう。
上記をまとめると…泰時は法律が難しく、理解できる人が少ないことを、良くないと思っていたようです。
人々が法律を知らないことで法にくわしい官僚が、自分にとって都合よく解釈を捻じ曲げ、やりたい放題していることも憂いていたようです。
あらかじめ「裁判のきまり」を定めることで、身分にかかわらずひいきなく裁定が下されることを願い、裁判のときはちゃんとした「道理」のもとで判断されるよう、「御成敗式目」は制定されました。
光威